始まり




ピピピピピ・・・・・。

「う〜〜ん・・・・・」

枕元で目覚まし時計のベルの音が鳴り響く。

スッポリと潜った布団の中から腕だけを伸ばし、浜崎薫はベルを止めた。

そして、ゆっくりと体を起こし、眠たい目をこすった。

(・・・あれ・・・?私、泣いてたのかな・・・・・・・・)

目をこすっていた薫は、何故か自分の目に涙が溜まっていることに気づいた。

(そういえば、何か懐かしい夢を見ていた様な気がする・・・・・・・)

森の中にある古くて小さな教会。

そこにいた、まだ幼い頃の自分。

(あともう一人・・・・誰かがいたような気がするんだけど・・・・・・)

どんな夢だったかと、薫はベッドの上で座ったまま、しばらくの間、ぼんやりと考え込んでいたが、

「ねえちゃーん!腹減ったよー。
早く朝飯作ってよーっ!!」

薫の部屋の扉の外から、弟の尽の声が聞こえてきた。

「はーい、今行くー!」

夢のことなど忘れたかのように、薫はバッとベッドのから飛び起き、

さっと身支度を整えると、自分の部屋を後にした。



(あーっ、気持ちいい・・・・)

学校への道を歩きながら、薫は「う〜ん」と伸びをした。

ここ、はばたき市は、海沿いに位置している為か、

ほんのりと潮の香りが漂ってくるようであった。

薫が今歩いている道路の脇には桜の木がズラッと植えてあり、

ちょうど桜満開の今頃は、道路全体が美しい桜吹雪に覆われているようである。

浜崎薫は15歳。

今日からここ、はばたき市にある私立はばたき学園高等部に入学する。

3月までは遠くの町に暮らしていたのだが、

薫が高校入学と同時に、このはばたき市に越してきた。

(・・・また、ここに戻ってくることになるなんて・・・・・・・・・)

ずっとはばたき市に戻りたいと思っていた。でも・・・・・・・・・・

知らず知らずのうちに、薫の目に涙が溜まって零れ落ちそうになっていた。

薫は慌てて制服の袖口で涙をキュッと拭き取った。

そしてパッと顔を上げた。

(私は今日から高校生なんだ。
泣いてなんかいられない!)



やがて、学校に到着した。

校門のすぐ近くにある掲示板に新入生のクラス分けの紙が貼ってあり、

掲示板の前には既に多くの新入生らしき生徒達で溢れ返っていた。

「クラス一緒だね〜」

「よかったぁ」

そんな中を、薫は人ごみをかき分けて、掲示板の前に立った。

(1年A組、か)

自分のクラスを確認すると、再び人ごみをかき分けて掲示板から離れ、

そして人ごみから抜け出すと、「ふぅ」と息をついた。

(さて、1-Aの教室に行きますか!)

薫は1年A組の教室に向かった。



1年A組の教室にたどり着いた薫は、早速教室の中に入った。

教室の前の黒板には席順が記載されている。

薫は自分の席の場所を確認し、ストンと着席した。

そして一息ついて落ち着いてから、教室の中をグルッと見回してみた。

教室の中には何人かの生徒がいるが、まだその人数は少ないようである。

(まだ外に人がたくさんいたもんね)

そしてふと、教室の窓に目を向けた。

窓の外には満開の桜、そして青い海が見える。

桜吹雪と青い海。

そんな不思議な組み合わせのその光景に、薫は思わず席を立ち、

もっとその景色を味わいたくて、教室の外のベランダに出た。

(ホントに海沿いの町なんだなぁ、はばたき市って・・・・・・・・)

薫はベランダから身を乗り出すようにして外を見ていた。と、その時、

(・・・・ん?あの教会は・・・・・・・・・・・)

学校の裏門付近に、小さな教会が建っているのが見えた。

(あんな所に教会なんてあるんだ・・・・・・)

行ってみたいと、薫はふと思った。

教室集合の時間は9:00。

現在、時計の針は8:30を指している。

(まだ時間もあるみたいだし、ちょっと行ってみようかな)

薫は小走りで教室を後にした。



走って教室を出た薫は、やがて裏門に到着した。

はぁはぁと、肩で息をしながら顔を上げると、前方に教会が見えた。

(ここだ・・・・)

薫は引き寄せられるように教会に向かって歩いて行った。

そして教会の入り口の扉の前に立つと、扉の取っ手に手をかけた。

(閉まってるんだ・・・・・)

中から鍵が閉まっているのか、扉は全く開く気配がない。

薫は諦めたように「ふぅ」と小さく息を吐くと、改めて教会を見上げた。

(何か懐かしい・・・ここ・・・・・・)

不思議なことに、薫は何故かとても懐かしい感触にとらわれていた。

(そういえば、今朝見た夢にも教会が出てきてたっけ・・・・・・・)

夢に出てきた教会も、周りを緑で覆われていて、建物も古くて小さかった。

(もしかしたら・・・私、前にもここに来たことがある・・・?)

薫は時間を忘れたかのように、しばらくの間、教会をボーッと見上げていた。その時、

「・・・こんな所で何をしている・・・?」

突然、背後から声をかけられた。

驚いた薫が後ろを振り返ると、そこには一人の男性が立っていた。

その男性は眼鏡をかけており、かなりの長身である。

薫の顔を見た瞬間、男性は何故かハッと驚いたような顔つきになった。

「・・・君は1年生か?名前は・・・?」

「あ、あの・・・・浜崎薫です・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・」

しばらくの間、二人は言葉もないまま、ジッとお互いの顔を見つめていた。

(この人・・・・・・・どこかで会った事がある様な気がする・・・)

薫は不思議な感覚にとらわれていた。

しばらくの間沈黙が続いたが、やがて男性が先に口を開いた。

「君は入学早々遅刻するつもりか?
今何時だと思っている。
早く教室に行きなさい」

「はっ、はいっ!!」

慌てて教室に向かっては知って行く薫の背中を、男性はしばらくの間見つめていた。



薫が教室についた時は、教室の中は既に多くの生徒達で賑わっていた。

時計の針は9時5分前を指していた。

(よかった。間に合って)

薫は自分の席に座り、ホッと息を吐いた。

やがて9時になって、HR開始のチャイムと同時に一人の男性が教室の前の扉から入ってきた。

それまでざわついていた教室が、一気にシーンと静まり返った。

(・・・あっ、あの人・・・・・・・)

教室に入ってきた男性は、先程薫があの教会の前で出会った男性だった。

(ここの先生だったんだ・・・・・・)

男性はツカツカと教壇まで歩いていき、そして教壇の前に立つと、

生徒達の方に向き直った。

「諸君。私がこのクラスの担任の氷室零一だ。
私のクラスの生徒には、常に勤勉であり、節度ある生活を送ってほしい。
以上だ。質問のある者は?」

零一がそう言い終った途端、薫の後ろの席に座っている女生徒が「はーい」と手を上げた。

「先生、恋人はいますかー?」

その質問に、教室中が一気にざわついた。

(よくある質問だよね)

薫は思わずクスッと笑った。

生徒達は皆、零一がどう答えるかと、胸を高鳴らせてジッと零一を見つめている。

ところが・・・・・

「たった今、節度ある生活を送るよう言ったはずだ」

女生徒の質問に対し、零一は極めて冷たく言い放った。

教室中が一気にシーンと静まり返る。

「他に有意義な質問が出来る者はいないのか?」

零一の問いかけに、生徒達は誰一人口を開こうとしない。

(何かすごい先生に当たっちゃったなぁ・・・・・)

薫はコッソリ溜息をついた。

「それでは出席をとる。
名前を呼ばれた者は返事をするように」

零一は出席をとり始めた。

(何か怖そうな先生だなぁ・・・・・・・・。でも・・・・・・・・・・)

あの教会の前で零一と出会った時、薫は懐かしい感覚にとらわれていた。

今朝の夢に出てきた古くて小さな教会。

学校の裏門近くにあった教会は、夢の中の教会にとてもよく似ていた。

そして、その教会の前で零一と出会った・・・・・・。

(気のせい・・・・・なのかな・・・・・・・・・・)

その時、不意に背後から背中をつつかれた。

驚いた薫は、思わず勢いよく後ろを振り返った。

「な・・・何・・・?」

「・・・名前・・・!」

「名前??」

「名前呼ばれてる!」

そう言うと、薫の後ろの席の女生徒は「前、前!」と、しきりに薫の前方を指差した。

薫が前に向き直ると、薫の席のすぐそばに、険しい顔を下零一がたたずんでいた。

「浜崎。先程から何度も君の名前を呼んでいる。
返事がないのならば欠席扱いとするが?」

「す、すみません・・・・・・・・」

「それから」

(・・・ま、まだ何かあるの!?)

「スカーフが曲がっている。直したまえ」

「えっ・・・・・」

胸元のスカーフを見ると、確かにほんの少しではあるがスカーフが曲がっていた。

「はい・・・。すみません・・・・・・・」

薫がスカーフを直すのを見届けると、零一は満足気に頷いた。

「よろしい。以後、気をつけるように」



やがて朝のHRが終わり、生徒達は入学式の会場である体育館に向かう為、

一斉に教室のすぐ外の廊下に並び始めた。

(・・・あぁ、やっとHRが終わった・・・・・・・・)

薫は思わずホッと安堵の息を吐くと、椅子から立ち上がった。

その時、

「ねぇ、ねぇ」

薫に話しかけてきたのは、先程の薫の後ろに座っていた女生徒だった。

「アンタ、入学早々災難だったねー」

「あ、あはは・・・・」

薫も思わず苦笑い。

「まぁ、私もボーッとしてたから・・・・・・・」

「何?何か考え事でもしてたの?」

「あ、うん。ちょっとね・・・・・・」

薫は零一のことが気になっていた。

どこかで会った事がある様な気がする。

でも、どこで会ったのか、全く思い出すことが出来ない。

薫がそんなことを考えていると、不意に女生徒が口を開いた。

「でもさー、あのセンセーもつまんないヤツだよねー。
“何か質問は?”って言うから、せっかくアタシが率先して質問したのにさ。
何が“節度ある生活”よ。
アタシ、ああいうロボットみたいなお堅いヤツって大嫌いなんだよねー」

大げさなほどに溜息をつく女生徒を見て、薫は思わずクスッと笑った。

「あ、アタシは藤井奈津実。
あんたは浜崎薫でいいんだよね?」

「うん。よろしくね、藤井さん」

その時、

「教室に残っている者は早く廊下に並びなさい」

零一が、まだ教室に残っている生徒達に向かって呼びかけた。

「いこ、薫。また説教くらっちゃう!」

「うん。行こう!」

薫も頷き、2人は一緒に教室を出た。



入学式も無事終わり、薫は自宅に帰りついた。

「ただいまぁ」

「姉ちゃん、お帰り!」

弟の尽が薫を出迎えた。

「姉ちゃん、腹減ったよ。昼飯作って!」

「はいはい。しょうがないなぁ・・・」

そうは言いつつ、薫は制服の上からエプロンを身につけ、キッチンに立った。

キッチンの椅子に腰掛け、頬杖をついて昼食の準備をしている姉を眺めていた尽が、

不意にポツリと呟いた。

「なぁ、姉ちゃん。クラスにカッコいい男、いた?」

尽のその突拍子もない問いかけに、薫は危うく手に持っていた皿を落としそうになった。

「・・・なっ、何を言ってるのよ。あんたは!」

「だってさぁ、姉ちゃんの恋の話って、今まで一度も聞いたことないんだぜ?」

そう言うと、尽は大げさなほどに「ふぅ」と溜息をついた。

「このまま姉ちゃんに彼氏が出来なくて、姉ちゃんがいかず後家にでもなったらどうしようかと
弟の俺としては心配で心配で・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・尽。何か言った・・・・・・?」

包丁を持った薫がジロリと尽を睨んだ。

「いっ、いえっ!何でもないです・・・・」

尽はそう言うと、肩をすくめてクルッと薫に背を向けた。

「全く・・・・・・・」

尚もブツブツと文句を呟きながらも、薫は再び昼食の準備を始めた。

(カッコいい男、か・・・・・・)

薫の頭に、ふと零一の顔がよぎった。

(氷室先生・・・・・カッコいいといえばカッコいいかもしれないけど・・・・・)

厳しい言動が目立つ零一だが、よくよく思い返してみると、

なかなか綺麗に整った顔立ちをしていた。

(あれでもっとにこやかだったら絶対にもてると思うんだけど・・・・・・・)

「恋人はいますか?」という奈津実の質問を受け流し、

そしてボーッと考え事をしていた薫を一喝した零一。

薫は再び、今日のHRでの出来事を思い出し、急に恥ずかしくなり、顔が火照ってきた。

(やだやだやだやだやだっ!!あ〜〜っ、もうっ!!!)

薫は大きく首を横に振った。

(あんな怖い人、私は知らない!!
いくら顔が綺麗だからって、絶対好きになんかならない!!
大体、教師と生徒なんてあり得ないっ!!)


〜あとがき〜

オープニングで氷室先生に
「先生、恋人はいますかー?」
と質問している女の子、
あれって絶対なっちんだと思うんですよね。
声違うけど・・・・・・。